2007年4月1日は、待ちに待ったJALのOne Worldへの加盟日。
そんなわけで(?)、JALの4万マイルを有効活用すべく、パタゴニア旅行を決行することにしたのでした~。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
ちなみに、
「パタゴニアってどこの国!?( ̄□ ̄;)アセアセ.....」
という方もいらっしゃると思うので、Wikipedia記載のパタゴニアの定義を書いときますと、
『南アメリカ大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域の総称。アルゼンチンとチリの両国にまたがる』
という感じで、国ではないです!!
で、さっそく現地の日系旅行代理店の方とやりとりをし、昨年、南米でフライトキャンセルやらストライキやら度重なるトラブルに巻き込まれたにもかかわらず、懲りずにこんなタイトなスケジュールを計画 ↓(苦笑)
# | 書類 | 必要数 |
---|---|---|
(1) | 渡航書発給申請書(総領事館備付け) | 1通 |
(2) | 6か月以内に発行された戸籍謄本 | 1通 |
(3) | 写真(縦4.5cm×横3.5cm、正面、無帽、無背景、6ヵ月以内に撮影されたもの) | 1葉 |
(4) | 航空券(e-Ticket)または航空便予約証明書など帰国日程が確認できる書類 | 1通 |
ちなみに、4/29のサンチャゴ→プンタアレーナスや、5/4のエル・カラファテ→ブエノスアイレスが遅れたり、キャンセルされたりすると激しくきつかったり・・・(特に、後者については、評判の悪いアルゼンチン航空だけに気がかり・・・)
でも、まぁ大丈夫でしょう♪
と、2、3日でぱっぱとスケジュールを決めて、事前予約が必要そうなツアー等(飛行機と時間的に現地で手配する余裕のないパイネツアー。)を予約してあっという間に準備完了。我ながら成長したね( ̄ー ̄)ニヤリ
あとは、フライトキャンセルとかでスケジュールが狂わないよう、当日まで運気を貯めるのみ(≧▽≦)ノ
が、
数日後の4月初旬、とある事件が発生・・・
財布を無くす。。。_| ̄|○
で、慌ててカード止めたり、再発行の手続きしたり・・・。そして長年付き添ってきたヴィトンのお財布ともお別れ・・・(涙)
※とはいうものの、1週間後、神隠し的としか言いようのない、まさかの場所で発見されたんですけどね(;¬∀¬)ハハハ…
その後もなんとなく、いろんな意味で調子が悪く、
「まぁ、旅行前にいろいろ嫌なことあれば、旅行中はきっとうまくいくだろう・・・」
と自分を励ましながら細々と生きてたら、忘れもしない4月19日夜10:40頃、
ガシャーーーーンッ!!!εε=====≡゙ヽ(#`Д´)っ┌┛))ウラァァァ
人生初の追突事故(涙)
ガ━━━━━━∑(゚д゚lll)━━━━━━ン
「えっ!?僕、なんか悪いことしましたっけ???」と困惑の荒らし・・・
それでも、「ここまで、ついてなければさすがにパタゴニアでは・・・」と引き続き、自分を鼓舞し続けて迎えた、旅行前日の朝。
この日はカリフォルニア州の運転免許の実技試験の日。半日休みをとって、DMV(アメリカの車両局)に行き、そこの駐車場で、教官が乗るから、と律儀に助手席を掃除していると・・・
ガシャーンッ!!
助手席からカバンを移動しようとした際に、カバンに入っていた、明日から大活躍してもらう予定のデジカメ君がアスファルトの上にまっさかさま・・・。液晶画面が見るも無残なお姿に・・・
「うそー・・・orz よりによってデジカメが壊れるなんて・・・(涙)」
半べそかきそうなところをぐっとこらえて、技能試験になんとか合格し、仕事に行くまでにデジカメを新調することになったのでした・・・。突然の400US$の大出費・・・
「まじで金ないんですけど・・・。なにかにとりつかれているような気がする・・・」
そして迎えた、出発日当日、2007年4月28日。
今月の悪い流れは昨日で終わったのだ、と思い込むことで心を整理し、意気揚々とサンノゼ空港へ向かったのでした(冒頭写真)
でもって、21:00発のチリの首都サンチャゴ行きに乗り継ぐべく、19:05にダラス・フォートワース空港に到着。
(@・Д・@)???「んっ!?」
一瞬、目を疑った後、もう一度電光掲示板を見てみる・・・
「Santiago(サンチャゴ)行きが、な、な、ないっ!!」
どこをどうみても、あるはずのサンチャゴ行きが見当たらない!!!んで、慌ててアメリカン航空のカウンターに行ってみると、
(・ω・*)「(スタッフ)明日の早朝7:30発に変更になりました。」
(#゚Д゚)「(たく)はぁーっ!?何言ってんの!!明日の夕方にこの飛行機に乗り継がないと、旅行全部パーになっちまうんだけど!!!なんか他に方法ないの??LAN航空を手配するとか、ダラス→LA→サンチャゴとかさぁ!!」
(・ω・*)「(スタッフ)乗り継ぎ便については、別手配ですので保証の対象外です。他の手段も、うーん・・・、ありませんね。ハイアットリージェンシーホテルをご用意いたしましたので、明日7:30のフライトに間に合うよう、朝5:30に空港にいらしてください。」
今までなら、ここから日本語による怒り大爆発、ってところでしたけど、このときは妙に達観した感じになって、「きっとこれは試練なんだ。どんな時も平常心を保てるようステップアップするための!」と、またしても勝手に都合よく解釈し、土曜日の夜遅くだってのに、急いで現地の日系旅行代理店の方の緊急連絡先に電話し、大幅な追加費用が発生したものの、こんなプランに変更することで何とか対応してみることに ↓
日付 | 時刻 | スケジュール |
---|---|---|
4/29 | 7:30 | ダラス(米国)からサンチャゴ(チリ)へ飛行機移動 |
17:30 | サンチャゴ到着 | |
21:20 | サンチャゴからプンタアレーナス(チリ)へ飛行機移動 (このフライトは、ホテルチェックイン後に要別途手配) |
|
4/30 | 1:40 | プンタアレーナス到着 |
2:00頃 | プンタアレーナスからプエルトナタレス(チリ)へプライベートタクシーで約230kmの大移動 | |
5:00頃 | プエルトナタレス到着、ホテルにチェックイン | |
7:30 | トーレス・デル・パイネ国立公園(チリ)ツアーに参加(←元の旅程へ復帰!) |
元の旅程に戻る方法があったとはいえ、デジカメ400US$に、追加フライト367US$、プライベートタクシー200US$で日本円で約12万円の想定外支出…(涙)
この時点で、4万マイルの特典航空券利用がほとんど意味なくなったわけで・・・orz
まじでしゃれなんないくらい金欠なんですけど・・・。これで帰りのカラファテ→ブエノスアイレスにまでなんかあったら死んでしまいます、破産です(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
んで、その後は、
無料シャトルバスに乗って、アメリカン航空が用意してくれたハイアットリージェンシーに向かい(写真左)、同じようにアメリカン航空から手痛い仕打ちをうけた皆様とチェックイン。
んで、ぶーに電話して、励ましてもらいつつ、中途半端に立派なツインルームで一人寂しく(写真左)、アメリカン航空がくれた食券Dinner ticket10US$(←安っ!)を使ってそれはそれは貧相な夕食をとって、波乱万丈の一日を終えたのでした・・・
つづく