2001年11月23日早朝
今日は、パリ北駅発の国際特急タリスに乗り込んでドイツのケルンに向う。電車の時間も早かったこともあって、慌てて朝食をつっこんでると、あまりに僕が切なそうに見えたんだろうか?ブラジル人の旅人が話しかけてくれた(冒頭写真)
(*´∀`*)「(旅人)どこから来たの?僕はブラジルから来たんだ。」
(;≧∇≦)「(たく)に、日本です!」
(*´∀`*)「(旅人)日本かぁ、日本は食べ物がおいしいよね。刺身に、・・・に、・・・に、みそスープに!」
Σ(゜Д゜lll)エッ!? 「(たく)みそスープ!?飲んだことあるんですか?」
今思えば、そりゃ、多くのブラジル移民の方がいらっしゃって、サンパウロにはおっきな日本人街があるんだから当たり前だろ!って感じですけども、その当時はそんなことも知らずに旅してた上に、味噌汁が「みそスープ」っていうことすら初耳だったり( ̄▽ ̄;)アハハ
ただ、そんな感じで、当時の自分の無知ぶりに苦笑する反面、その時と比べると、多少知識が増えてるんだな、と思うとちょっと嬉しかったり。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
彼と分かれて、パリ北駅に到着したものの、まだあたりは薄暗かった。でもその薄暗さと、その中で光り輝く電灯たちが、ヨーロッパとはいえ十分に、異国情緒をかきたててくれた゜+.(・∀・).+゜
外国にいるんだよなぁ。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
明るくなり、プラットフォームに向えば、いろとりどりのかっこいい鉄道たちが整然と並び、今か今かと出発を待っているようだった。英仏海峡をまたぐユーロトンネルを越える、いかにも近代的なユーロスターに(写真左)、今日これからケルンまで乗せていってもらう真っ赤な国際特急タリス(写真右)
鉄道マニアじゃなくても旅心がくすぐられちゃいますよ、まじで゚+.(◕ฺ∀◕ฺ)゚+. わぁ♪
約4時間後・・・
ベルギーの首都ブリュッセルを経由した我らがタリスは、ライン川中流に位置し、陸上・水上交通の要所として古くから栄えた産業都市、ケルンに到着( ´ ▽ ` )ノ タダイマ
ケルン中央駅くらいになると、ひっきりなしに往来する人で構内はごったがえしてた。
人々が奏でるカツカツと歩く音がまた、透明感があってとても心地いい。
初めて足を踏み入れた国のせいもあるのだろうか、自分と他の人たちとでは時間の流れ方が違うような気がして、異国のど真ん中に一人取り残されたような、不思議な感覚でいっぱい。でも寂しいとかそういう感覚じゃない、むしろワクワクするような感覚。
プラットフォームを出て、人込みを掻き分けながら、眩しい程の光が射し込むガラス張りの駅のファサード越しに、何やら重厚な建物の裾野が見えてきた゚+.(◕ฺ∀◕ฺ)゚+. わぁ♪
間違いない、ケルン大聖堂だヾ(≧∇≦*)〃
駅エントランスに近づけば近づくほど、少しずつあらわになるも、あまりに大きすぎるためか、その全貌はいっこうに見渡せない。
そういうチラリズムに、実際どれぐらいでかいんだよ!っていう想像力をめちゃくちゃ掻き立てられる.+゚ゎくゎく.+゚(o(。・д・。)o).+゚ぅきぅき.+゚
そして、
キャ━━━(*´∀`*)━━━ !!!!!
すげぇ、すげぇでけぇよ!ケルン大聖堂っ!!w( ̄△ ̄;)wおおっ!
あまりにおっきすぎて、こんなお古デジカメじゃその全貌を収めることができないんですけど・・・( ̄□ ̄;)アセアセ.....
ほんと、ゴシック建築ってかっこいいわぁ、この尖塔群と飛び梁が織り成すツンツン具合がまじでたまらんです、しびれちゃう((*´∀`))ヶラヶラ
と、浮かれ気分全開だったものの、さすがにバックパックが重いので、とりあえず本日の宿を探すべく大聖堂の向かいにあるインフォーメーションに向ってみた。
そしたらあっさりと、中央駅から徒歩2分くらいという好立地条件にもかかわらず、1ベッドルーム40ドイツ・マルク(2,000円ちょっと)っていうナイスな宿が見つかった!
とはいえ、安いだけにどうせ汚いんだろうなぁと、半信半疑で足を運んでみると・・・
w( ̄△ ̄;)wおおっ!
めっちゃきれいなんですけど゚+.(◕ฺ∀◕ฺ)゚+. わぁ♪
パリとは大違い!さすが旅好きの国、ドイツ。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
そんなわけで、ケルンを訪ねた際にはぜひともこのホテル、Station Hostel - Cologne Germanyをご一考くだされヽ(゚∀゚ )ノ
んで、ホテルに荷物を置き、身軽になったところで、ライン川周辺を散策してみる。
まぁ、散策といっても徒歩だと対したところに行けないんですけども、ホーエンツォレルン橋を渡って、ライン川対岸に行けば、ケルン大聖堂の全貌を見渡すことができて、なかなかのグレートビュー。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
シンボルのある街っていいよねぇ(・∀・。)(-∀-。)ウン♪
でもって、さっきとは違うドイツァー橋からライン川を渡り、再びケルン大聖堂に戻ったころには、もう結構な時間になっていた。とりあえず、明るいうちにケルン大聖堂と一枚写真撮っておきたかったので、その辺を歩いてた人にお願いしてみたところ、
(。-`ω-)ンー
これじゃ、どこで撮ってるのかよーわからんでしょ・・・(´-ω-`;)ゞポリポリ
とはいえ、1884年まで世界最高高さを誇る建築物だったっていうんだから、当時のデジカメで大聖堂と人をびしぃっと収めるのは無理ってもんか・・・
1248年から建造が開始され(3代目)、竣工したのが1880年ってだけあって、よーく見ると結構外装のレンガが剥がれ落ちたりしちゃってる(写真上)。まぁ、古いだけじゃなく、第二次世界大戦のときに爆撃されたらしいんで、それも原因だろうけども、さすがに、
大聖堂には工房も併設されていて、修復士の皆さんが日夜、修復にはげんでるみたい(写真上)
この旅の出発直前に映画「冷静と情熱のあいだ」を見てきてたから、なんだか無性に修復士っていう職業がかっこよく見えてしょうがない(*´∀`*)
で、ケルン大聖堂の存在をヨーロッパ中に知らしめた(らしい)のが、聖堂内部にある、
「東方の三博士」のものとされるこちらの聖遺物(写真上)
聖遺物って、古代から中世にかけて、盛んに信仰の対象となったらしいんですけども、特に中世においては、価値ある聖遺物を所有することで、教会や町、国の格を高めることができたっていうんだから、新約聖書に登場する「東方の三博士」の聖遺物を所有してるぜ!なんて言ったら、そりゃ、ヨーロッパ中に知れ渡るわなぁ(・0・。) ホホ-ッ
にしても、
三博士のうち、ここに何人の遺骨が納められてるんですかね?
ってか、そもそも、三博士って三人いたかどうかもわかんねぇって(当時の)Wikiに書いてただけに、一度この聖棺の中をのぞいてみたいものです、苦笑。実は、なーんも入ってなかったりしてね・・・('▽'*) ・・・ァハハ
ケルン大聖堂を出た頃には陽もすっかりくれていたけども、
聖堂のまわりではクリスマス市が開かれてなにやら賑やかだったり(写真左)、何度も並んでしまうほどに激ウマなステーキバーガー(写真右)に出会ったりと、案外侮れない((*´∀`))ヶラヶラ
そしてその後、
威厳を損ねずに美しくライトアップされたケルン大聖堂と(写真上)、
ガラス越しにのぞむ星たちが一層かわいく映える、夜のケルン中央駅を散策(写真上)。
(写真左)駅天井にこんなかわいいライトアップを施してても、なんだか全然安っぽさというか違和感を感じないのは外国だからだろうか?(。-`ω-)ンー
(写真中)地下鉄の改札かよ!って感じの有料トイレも、この頃はまだ発見するだけで楽しい年頃だったな…、と(笑)
というわけで、駅構内の立ち食いのバーのようなところで一人、
ちょろっと飲みなおしてから、宿へと帰ったのでした・・・(´・ωゞ)おやすみなしゃい
つづく。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。