ヴィア・ドロローサ - 苦難の道

2021-07-04

エルサレム

2008年12月29日

 

今日は終日、エルサレム旧市街観光!!
ヴィア・ドロローサ」関連の旅行記のみを確認したい方は、こちらから

 

ってことで、さっそく、エルサレムの代名詞的な光景が拝めるオリーブの丘へと向かおうとした矢先、

 

エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

 

明らかに平和的とはいえない写真で一面が飾られた新聞を発見・・・(冒頭写真)

( ̄□ ̄;)アセアセ..... 「(たく)ぶー、なんかやばいんでない?戦争っぽいの始まったっぽいよ、これ・・・。ぶーのお父さん心配するね(っていうか、怒られそうだな、こりゃ・・・)」

すると、

( 'ノω')コッソリ 「(新聞売りの人)ガザ地区(Gaza Strip)だ」

 

後から宿のネットで調べてみたところ、イスラエル軍によるガザ地区への空爆は、一昨日27日に始まったらしい。ぺトラにいた日だ。そう思うと、昨日エルサレム入りした時の、不可解な軍人からの指示や(なかなか国境から出発させてくれなかった)、エルサレム旧市街直前での道路封鎖、さらには、ダマスカス門近辺での中国人観光客っぽいおじさん2名の慌てぶりがそれに関係していたのでは?なんて思えてくる。そして、不思議なことに、そういう情報が頭に入ってきてはじめて、そこら中に銃を持った軍人がうろちょろいることに気がついたり(遅っ!!)

なので、とにかく慎重に、そして自爆テロなんかが起こりそうな人ごみには近づかないように意識しながら行動しないと・・・、なんて気を引き締めてみる(((( ;゚д゚)))アワワワワ

 

エルサレム

(写真上) そんな緊迫した状況(?)にもかかわらず、焼きたてのパンを運ぶパン屋さんはじめ、ここにはいつもの日常が変わらずあるように思えた。もう慣れっこってことなんだろうかゥ─σ(・´ω・`*)─ン…

ダマスカス門から、

エルサレム

旧市街の城壁沿いを東に向かってとぼとぼ歩き、急坂を上るとそこは(写真上)、

 

エルサレム

オリーブの丘゚+.(◕∀◕)゚+. わぁ♪

眼下に、絵葉書その他でよく目にするエルサレムの代表的風景が広がる丘だ。

エルサレム

外観を全て石造りとすることが義務付けられ、旧市街全体として、同じような色彩で統一されている中、唯一、他とは一線画す色彩を放ち、黄金色に輝く、岩のドーム。何百年も、いや一千年以上も前から、このオリーブの丘から見下ろすエルサレムの街並みは、今と変わらず、こうして美しくたたずんでいたんだな、と思うと感慨深い(´⌒`。)グスン

そして、沖縄の青い綺麗な海を見たときも思ったけど、こんな美しい光景を横目に、十字軍だ、中東戦争だ、とかいって、血なまぐさい幾多の争いが行われていたんだ、と考えると不思議な気持ちになる。よくやるよね、人類ってのはさ・・・ヘ(-′д`-)ゝヤレヤレ

 



 

んで、オリーブの丘中腹にあるという、金ピカのオニオンドームで知られるロシア正教会の「マリヤ・マグダナ教会」には月曜日の今日、入れなかったので(火・木の10時~正午)、そのまま、麓にある、

エルサレム

エルサレム

ゲッセマネの園とそこに隣接する、カトリックの「万国民の教会」へ向かう(写真上)

ゲッセマネ」とは、最後の晩餐を終えたイエスが、その後に起こる出来事を予感して苦悩しながら祈りを捧げたとされる場所であり、イエスが、ユダに裏切られ捕えられた場所

そして、ここには、エルサレムの中でも最も長寿とされるオリーブの木々が植えられているせいか(←現地のおじさんの英語を正確に聞き取れていたと仮定した場合の話、笑)、

エルサレム

万国民の教会のモチーフは、入口のレリーフをはじめ(写真上)、どうやらオリーブの木々っぽい。

 

その後、旧市街に戻ろうかと思ったら、路地でくつろいでたおじちゃんが、「すぐそこに、聖母マリアのお墓があるから行ってみなさい」っていうんで行ったみたら、

エルサレム

外観がみすぼらしいせいで…(写真上)、

 

エルサレム

エルサレム

誰かに言われなかったら確実にスルーしてしまったであろう(爆)、その場所に足を踏み入れてみる、苦笑 (写真左)

が、オレンジ色の怪しげな灯りに照らされた、地上より5mは低いだろう地階からは、自分が想像するキリスト教の祈りとは似ても似つかない、どちらかというとどこかの密教の祈りのような(って、聞いたことないけど、笑)、どすの利いた低い男性の祈り声が聞こえてくるもんだから、相当ひるむんですけど…(汗)

(写真右) 薄暗い地階で、聖母マリアに祈りを捧げる神父(っていうのかな?)

エルサレム

(写真上) 同じく聖母マリアの墓にあった肖像画。右下にあるイエスの肖像画ももちろんのこと、マリア様の周囲を笑顔で羽ばたいている、笑顔と羽だけの天使(?)が、(罰当たりにも)ちょっと気持ち悪い('▽'*) ・・・ァハハ

 


 


でもって、オリーブの丘周辺散策を終え、ライオン門から旧市街に戻ってきた後は、観光客にとっての「エルサレム観光のハイライト」、

エルサレム

 

ヴィア・ドロローサ(苦難の道 / Via Dolorosa)

 

ちなみに、「ヴィア・ドロローサ」とは、ラテン語で「苦難の道」を意味し、イエスが十字架を背負いながら歩いたとされる、総督ピラトの官邸からゴルゴダの丘(刑場)までの経路を指す概念であり、イエスがその道中に味わった苦難を偲んで名付けられたものらしい。

そして、「ヴィア・ドロローサ」上には、福音書等に記述された出来事にまつわる14箇所の留(りゅう / ステーション)と呼ばれる場所が設けられていて(下図参照)、その場所を辿りながら、終着点の聖墳墓教会を目指すのが、一般的な「苦難の道」の観光方法なんだとか。

 

それら14箇所の留は、それぞれこんな感じ ↓

 

第1留 - イエス、総督ピラトに裁かれ、死刑宣告を受ける

ヴィア・ドロローサ

ちなみに、上の写真は、本当の(?)第1留はなく、第2留にあるエッケ・ホモ教会(有罪判決の教会?)にあった絵画で、たぶん(?)、総督ピラトから死刑宣告を受けたイエスが、祭司長たちに引き渡されるところを描いている。
なお、現在の第1留には学校が建設されていて、授業終了後にしか入れないにも関わらず、史跡はほとんど残っていないらしい。

 

第2留 - イエス、鞭で打たれ、十字架を背負う

ヴィア・ドロローサ

ここには、前述の「エッセ・ホモ教会」に加え、”茨の冠”がモチーフとされ、天井ドームや、教会入口上部アーチにも茨の装飾が施された「鞭打ちの教会」(写真上)がある。

 

第3留 - イエス、十字架の重みに耐えかね、最初に倒れる

ヴィア・ドロローサ

 

第4留 - 悲しむ母マリアと出会う

ヴィア・ドロローサ

5世紀から6世紀のビザンチン時代のものとされるモザイク床には、マリアが十字架を背負って通り過ぎる息子の姿を耐え忍んだ場所として、足跡が描かれていたりするんだから(写真下方)、昔の人ったら結構おちゃめ(笑)

 

第5留 - シモンがイエスに代わって十字架を背負う

ヴィア・ドロローサ

 

第6留 - ベロニカがイエスの顔を拭う

ヴィア・ドロローサ

ちなみに、このときベロニカが使った布には、キリストの顔が浮かび上がるという奇跡が起きたらしくって、その後、「ベロニカのベール」として語り継がれているらしい・・・エッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

と言っても、サン・ピエトロ大聖堂はじめ、少なくとも6個のオリジナルが現存してるらしく…、オリジナルの定義っていったい…(苦笑)

 

第7留 - イエス、二度目に倒れる

ヴィア・ドロローサ

 

第8留 - イエスがエルサレムの婦人たちに語りかける

ヴィア・ドロローサ

 

第9留 - イエス、三度目に倒れる

ヴィア・ドロローサ

 


 

第10留 - イエス、衣服を脱がされる

ヴィア・ドロローサ

正直、ここまで来ると結構飽きてきちゃってたわけなんだけども(爆)、ここから先は、いよいよ聖墳墓教会(写真上)ってことで、やる気を取り戻して観光モードになる、

が、

 

( ゚д゚)ポカーン「(たく)第10留ってどこですか???」

 

って感じで、出鼻をくじかれる_| ̄|○ガクッ!!

んで、早々に第10留を諦めて(笑)、聖墳墓教会内に入ったものの、帰国後にいろいろと調べてみると、どうやら、写真上の右側にある急な階段を登ったところにある礼拝堂が、第10留らしい(驚)

ちなみに、ロンリープラネットをじーっくり読み直してみたところ、

 


"As you enter the church(聖墳墓教会のこと), head up the steep stairway immediately to your right. The chapel at the top is divided into two naves. The right one belongs to the the Franciscans, the left (中略). At the entrance to the Franciscan Chapel is the 10th station, where Jesus is said to have been stripped of his clothes."

 

とかつって、ちゃんと書いてるじゃんか・・・(苦笑)

 

第11留 - イエス、十字架に磔にされる

ヴィア・ドロローサ

 

第12留 - イエス、十字架上で息を引き取る

ヴィア・ドロローサ

ここ第12留は、イエスが磔にされ、息を引き取ったとされるゴルゴタの丘にあり、ここに捧げられた祭壇(写真上)下部には、銀製の円形プレートで周囲を保護されたゴルゴタの岩盤が露出しているので、それに直に触れようと、多くの巡礼者や観光客が、この祭壇の前に長蛇の列をつくっていたりするw( ̄△ ̄;)wおおっ!

ちなみに、このとき、イエスの死を確認するため、わき腹を刺したとされる槍が、所有するものに世界を制する力を与える、との伝説を持ち、あのアドルフ・ヒトラーも興味を示したとかなんとかと噂される、聖遺物「ロンギヌスの槍(聖槍)」なんだとか(エヴァンゲリオン!!)

 

第13留 - 十字架の下の母マリア

ヴィア・ドロローサ

んで、第10留と共に、見落としがちなのが第13留「十字架の下の母マリア」。

ここ第13留は、以前、「イエスの遺体が十字架から降ろされた後、横たえられて埋葬処置を施した」、ことが主題となっていたらしく、いろいろな旅行記等を見ても、聖墳墓教会の入口すぐの場所にある、「香油の石」(前回旅行記にて記載)が第13留として紹介されていたりする。

こうなると、実際何が第13留なの???って感じになるし、事実、たく&ぶーは現地で第13留を発見できなかったんだけども(笑)、Wikipediaとか、ロンリープラネットの情報を信じると、どうやら今の第13留は、第11留と第12留の間のマリア像がある場所であり(写真上、白丸箇所)、十字架から降ろされるイエスの遺体を両手で受け止めるマリアが負った悲しみを主題としているらしい。

ちなみに、ロンリープラネットには、


"The 13th station, where the body of Jesus is said to have been taken down and handed to Mary, is located between the 11th and 12the stations."

とかって書かれているわけなんだけども、こんな記述で第13留を発見できる人なんていないでしょ、普通に…(苦笑)

 

第14留 - イエスの墓

ヴィア・ドロローサヴィア・ドロローサ

そんなこんなで、いよいよこのヴィア・ドロローサを辿る旅も終着点第14留 - イエスの墓を迎えた。

前回の旅行記にも書いたとおり、キリスト教の信条によると、イエスは処刑され、埋葬された後、復活、昇天したとされているので、この場所のみならず、地球上のいずこにも、遺骸は存在しない。

それでも、教会建築含め、周囲の環境が生み出す荘厳な雰囲気に包まれると、このお墓の中に、本当にイエスの遺骸が納められているかのような錯覚に陥いるわけで、

ヴィア・ドロローサ

ヴィア・ドロローサ

この墓の中に納められた石棺(写真右)を一目拝もうと、無宗教者のくせに、周囲の巡礼者や観光客にまじって、ここでも長蛇の列に加わる、たく&ぶー(苦笑)

ヴィア・ドロローサ

ちなみに、このヴィア・ドロローサには、結構、わかりづらい場所もあるので、予め下調べ的なことをしておくか、あるいは、毎週金曜日の午後にフランチェスコ会の修道士の先導のもと、多くの巡礼者や観光客が参加して行われるという行進にまぎれて、第1留から一緒に行進するってのがベストかも。

 


 

でもって、その後はというと、「シンドラーのリスト」のシンドラーのお墓を訪ねようと、シオン門の南側、シオン山にあるユダヤ教徒墓地(?)に行ってみたり(残念ながら、この日は閉まってて入れず)、そのすぐ近くにあるという、「最後の晩餐」が行われた部屋が現存するとされる(驚)、ダビデの墓に足を運んでみたΣ≡≡≡((っ`・Å・)っ ドピューン

エルサレム

(写真上)ダビデの墓。嘆きの壁がヨルダン占領下(1948年~1967年)にあった時代のユダヤ教徒は、このダビデの墓に祈りを捧げていたらしい。

エルサレム

(写真上)あまりにも修復されすぎていて、少しも貴重な雰囲気が漂っていなかったものの、どうやらここが最後の晩餐が行われた部屋らしい・・・。

最後の晩餐以降どんな歴史があったのか知らんけども、この部屋には、イスラム教のキブラ壁(メッカの方向を指す正面壁)に設置される窪み「ミフラーブ」なんかがあったくらいにするので、どうも胡散臭く感じてしまう・・・(苦笑)

ちなみに、ロンプラには、この「最後の晩餐の部屋(Room of the last supper)」のことを、キリスト教で4番目に神聖な場所であって、ここを訪れる多くの訪問者は、最初に入る大きな部屋(たぶん写真右の部屋のこと)を、最後の晩餐の部屋だと勘違いする、とかって記載している。なので、一応この文章を信じ、現地でいろんな人に見聞きしたものの、ロンプラの言う本当の部屋について教えてくれる(知っている?)人はいなかったし、4番目に神聖な場所にしては訪問客があまりに少なかった上に、イスラム教のモスクちっくに改修されてしまっているのはどういうことですか?なんて疑問を抱いてしまう・・・


 

と、言うわけで、今回の旅行記はうんざりするくらい長くなってしまったものの、最後は、

エルサレム

これがほんとにエルサレム???って目を疑いたくなるほど(訪れる前に抱いていたイメージとはまったく異なる)、おしゃれなエリア、エルサレム新市街の日本食レストラン「Sakura」にて、

エルサレム

お寿司に焼きうどん、さらには天ぷらそばなんかに舌鼓しながら、大満足の一日を終えたのだった(。→ˇܫˇ←。)ププッ

 

●12/29(月)にかかった費用(1USドル=95円、1JD=136円、1NIS=29円)
・間食(パン、5NIS) 145円
・水(7NIS) 203円
・夕食(日本食レストランSakura、259NIS) 7,511円
・宿泊費(HOSHIMI Hotel、85ドル) 8,075円

小計            15,934円 (  7,967円/人)
合計           425,659円 (212,830円/人)

 

つづく