マサダ要塞で救われる…

2021-07-05

エルサレム

2008年12月30日

 

今日は朝から、遠方からは飽きるほど眺めてきたものの、まだ目の前には行けてなかった、

イスラム教第三の聖地、「岩のドーム」へ≡≡≡ヘ(o゚Д゚o)ノイッテキマァァーーーース!!!!

んで、その後は、昨日、観光案内所でバス時刻表を入手できたこともあり、ちょっくら遠出して、死海西岸にある世界遺産「マサダ」(「マサダ」はヘブライ語で「要塞」の意味)にも足を運べればなぁ、なんて考えてみたり(◕‿◕✿)(u‿u✿)ウンウン

というわけで、今日は長い一日になること間違いなしなので、

エルサレム

毎朝食べ続けているここの宿の朝飯(写真上)から、ゆで卵やらパンやらをちょっくら失敬して今日の昼飯を準備(だって、エルサレムの物価、高いんだもん、苦笑)

で、岩のドームに向かう途中、エルサレム到着日の夜にも訪ねた、

エルサレム

ユダヤ教の聖地、「嘆きの壁」

の様子がまたなんとも不思議な状態になってたんで、再び侵入してみる( 'ノω')コッソリ

なんかこの日は、全体的に、白い布をまとって、頭に、教典入り(らしい)小函を乗せて祈りを捧げてる…。

なんて、不思議がって眺めていると、さっきまで祈りを捧げていたユダヤ教徒の少年が、自分たちの写真を撮ってくれとせがんできた。まぁ、ユダヤ教徒といっても、エルサレムに住んでいる人を除けば、ここに来ることは特別なことであって、ちょっぴり、うちらと同じ観光客気分だったりするんだろうねぇ、中高生くらいの少年であれば特に(笑)



んで、嘆きの壁の後は、いよいよ、待望の、

エルサレム

岩のドームにご対面ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃

キタガヤキタガヤー(゚∀゚≡゚∀゚)キチャッタガネー!(名古屋風)

イスラム教の教祖ムハンマドが、ミウラージュ(一夜のうちに、天に昇りアッラーの御前まで達し、再び地上に戻る旅)を体験したとされる場所に立ち、イスラム教はもちろん、ユダヤ教、キリスト教にとっても重要な意味を持つとされる「聖なる岩」を取り囲むように建設された、この岩のドーム。

エルサレム

692年に完成した後、1554年に、オスマン帝国時代の大建築家ミマール・スィナンによって、写真上のような美しい瑠璃色のトルコ製タイルが外部に貼られたんだそうな(・0・。) ホホ-ッ

そして、大建築家ミマール・スィナン・・・

世の中ってのは、いろんなところでつながってるから、やっぱり旅することはやめられないね。

ミマール・スィナンといえば、かれこれ5年以上も前にイスタンブールで見た、

ブルーモスク

スレイマニエ・ジャミィ(写真上)の設計者であり、そして、時間が無くって訪れることが出来なかった、トルコ随一の美しさを誇り、アヤソフィアよりも大きなドームを持つらしいセリミエ・ジャミィの設計者でもある。

当時、ここエルサレムも、イスタンブールや、セリミエ・ジャミィがあるエディルネ(トルコとブルガリアの国境の町)も、いずれもオスマン帝国領だったから、当たり前っちゃー、当たり前だけど、やっぱり、異なる国で、歴史上の接点みたいなものを目にするとうれしくなるわけで。

にしても、セリミエ・ジャミィ、見てみたかったなぁ・・・(遠い目)

エルサレム

エルサレム

(写真左) 岩のドームの中に祭られているという「聖なる石」とやらを拝みたかったけども、イスラム教徒以外が、中に入るのは固く禁じられてるっぽい|`皿´)ノイーダッ

(写真右) 岩のドームに隣接する、「アル=マスジド・アル=アクサー(=遠隔のモスク)」。ムハンマドのミウラージュの奇跡を記念して建設され、以前はイスラム教の最高聖地だったこともあるそうだけど(今はもちろん、メッカのカアバ)、焼失、再建が繰り返されたせいなのか、まったくもってその凄さが感じられない(;¬∀¬)ハハハ…


んで、その後は、

エルサレム

エルサレム

エルサレム

ヤッフォ門から城壁に登りRamparts Walk。もちろん有料、笑)、旧市街軒下から見るのとはまたちょっと違う光景を眺めつつ(写真右端は、ダマスカス門上から)、案外長くって(約1km!)、微妙に退屈しながらも(苦笑)、旧市街の城壁を半周、ライオン門を目指す。

エルサレム

(写真上) 左側のドームが「岩のドーム」で、右側のドームが「聖墳墓教会

で、Ramparts Walkを半ば義務的に終えた後は(爆)、昨日見れなかった、ゴールデンオニオン(笑)の「マリヤ・マグダナ教会」へ。

エルサレム

エルサレム

(写真左) 旧市街の東側中央に位置し、現在は開かずの扉となっている「黄金門」。二千年前、イエスがオリーブ山を越えて、このエルサレムに入城したと信じられている門らしい。そして、ユダヤ教徒にとっては、終末の日、救世主(メシア)到来のときに開かれるとされている門。そんな神聖な門に対して、うちらときたら、

( ´,_ゝ`)プッ「(たく)ぶー、いつか、メシアが、あの開かずの門からエルサレムに入城するんだってさ。ぶーもなんとかあそこの門を通り抜ければメシアになれるんじゃないの?」

ヾ(≧∇≦*)〃「(ぶー)ぶー、メシアになるっ!!!」

とか言ってたんだから、アホとしか言いようが無い(;¬∀¬)ハハハ…

(写真右) オリーブの丘麓にたたずむ万国民の教会と、マリア・マグダナ教会

そんなこんなで、

エルサレム

ロシア正教会の「マリア・マグダナ教会」に到着。

名前からして、イエスの復活と死を見届けた証人、「マグダラのマリア」の教会なんだろう。ちなみに、このマグダラのマリアというのは、あの「ダヴィンチ・コード」で、イエスの妻、あるいはイエスと親密な関係を持ったとされる(仮説)女性なんだけども、それより何より、

エルサレム

この黄金の玉ねぎドームがキュートすぎっヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャッ

というわけで、これにてエルサレム旧市街観光を終了したわけなんだけども、エルサレム観光に先立って、やっぱり、もっともっと猛烈にこの地にゆかりのある宗教について勉強しておくんだったわ、反省…。


でもって、マリア・マグダナ教会から、世界遺産「マサダ要塞」行きの長距離バスが出ているセントラル・バス・ステーションに向かうタクシーでの一コマ↓

゜+.(・∀・).+゜ 「(たく)セントラル・バスステーションまでお願いします。」

('ο')「(タクシーの運転手)そこからどこに行くんだ?」

゜+.(・∀・).+゜ 「(たく)マサダ要塞に行くんです。」

('ο')「(タクシーの運転手)そうか。それより、ベツレヘムに行かないのか?あそこはイエスの生誕の地だし、生誕教会もあるから、観光客は必ず行くべきだぞ。●●NISで、往復してやるからどうだ?」

(。´・ω・)「(たく)生誕教会、行ってみたいけど、あそこはパレスチナ自治区(ヨルダン川西岸地区:West Bank)内の町でしょ…。数日前から同じパレスチナ自治区のガザ地区(Gaza Strip)で何やら戦闘状態に入ったみたいだし、あんまり近寄りたくないです。」

('ο')「(タクシーの運転手)何言ってるんだよ、ガザはずっと西の方だぞ。ベツレヘムは全然問題ないさ!!!」

なんて言われる始末で、案外他人事・・・。このおっちゃんの意見がエルサレムの住民を代表しているわけではないにせよ、遠く日本その他の国で報道を見聞きする限り、現地人の感覚がこの程度だなんて、到底想像できないものだと思う。

だって、テレビで一斉に空爆開始、悲劇が始まりました!なんて放送されるや否や、いろんな人がいて、いろんな町があるはずのイスラエルという国を、面から点に集約して考えてしまうもんね、普通・・・。

でもって、

マサダ要塞

セントラル・バス・ステーション12時発、マサダ行きの長距離バスに乗り込み(写真上)、およそ2時間半で、

マサダ要塞

目的地、マサダ要塞に到着ヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャッ(写真上)

ちなみに、2008年12月現在のエルサレム→マサダ行きバス(421号線&486号線)の出発時刻はこちら(※土曜日は運行なし)↓
(日-木) 08:45、09:50、11:00、12:00、13:00
(金) 08:45、09:40、12:45

注) 必ず、事前にヤッフォ門のところにある観光案内所で最新時刻表を入手してからマサダに向かうこと!!!

マサダ要塞

マサダ要塞

マサダとは、テーブルマウンテンとでも言うべき、標高400mもの切り立った崖の上に建設された難攻不落の要塞

なので、頂上へはロープウェイで登ることになる(もちろん、徒歩でも登れるようトレイルが整備されてるけど)(写真右)

んで、

マサダ要塞

マサダ要塞

話は遡って、紀元70年。

ローマ帝国によって、エルサレムを陥落されたユダヤ人が、最後の抵抗の地として選んだのが、ここマサダ

立て籠もったユダヤ人の数は総勢967名。

マサダ要塞

対するローマ軍の数は、1万5千から3万とも言われる大軍(驚)

そして、驚くべきことに、そのローマ軍の陣地跡やマサダ要塞を取り囲んだ塀跡が今なお残り、マサダ要塞から見下ろすことが出来るときたもんだから(写真上)、この場所に立て籠もったユダヤ人に思いを馳せることができたりする…。

マサダ要塞

マサダ要塞

で、結局この戦いはどうなったかっていうと、3年間に渡る兵糧攻めの後、

 

マサダ要塞

最終的に、立て籠もったユダヤ人の集団自決という形で幕を下ろすこととなったらしい。・゚・(*ノД`*)・゚・。 シクシク

 

マサダ要塞

(写真上) 大軍を持ってしてもこのマサダ要塞を攻め切れなかったローマ軍が、頂上に向かって土を盛り上げて作った侵略路跡(驚)

この道が完成し、ローマ軍の大軍が頂上に雪崩れ込んできてしまえば、十分の一以下の勢力しか持たないユダヤ人に勝ち目が無い。そう考えたユダヤ人たちは、くじ引きを繰り返すことで、仲間を殺す役割を担う人間を選び、最後に残ったものが自決する、と言う形で集団自決を図ったんだそう…(涙)


というわけで、気付けばもうはや16時Σ(゚ロ゚屮)屮ぉお!!

マサダ要塞

マサダ要塞

17:15マサダ発、エルサレム行きに乗り込むためには、そろそろ下山を開始する必要がある。だって、帰りは少しでもお金を節約しようと、ロープウェイではなく、徒歩なんだもの・・・(写真上)

マサダ要塞

(写真上) 下山途中に見えた、うっすらとピンク色に染まる死海と、その奥にそびえ立つヨルダン側の山々。なんだか感慨深いね(◕‿◕✿)(u‿u✿)ウンウン

ちなみに、マサダからエルサレムへのバス(421号線&444号線&486号線)の出発時刻はこちら(こちらも、あくまで参考程度にっ!!!)↓
(日-木) 08:25、09:50、11:25、11:50、13:10、13:50、14:10、15:10、16:10、16:20、17:15、19:20
(金) 08:25、09:50、11:25、11:50、13:50、14:10、16:20
(土) 18:15、19:20、00:20

んで、およそ1時間弱で、ようやくマサダを下山し、マサダのビジターセンターのトイレに寄った後、先にバス停で待っていたぶーと合流すると、

ヾ(・ω・`;)ノぁゎゎ「(ぶー)さっき来た違う路線のバスのおっちゃんが、もうエルサレム行きのバスは無い、って言ってたよ!」

ヾ(;;゚□゚;;)ノ 「(たく)えっ!まじで!?時刻表には、17:15と19:20があるって、書いてるのに!?ここで放置されたら相当やばいじゃん!!!」

アタフタ .゜。(゜Д゜;)≡(;゜Д゜)・。゜ アタフタ

と、二人で慌てふためいていたところ、

マサダ要塞

救世主が現れたっヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃

横で一部始終を見ていた、ツアーガイドと思しき救世主が、

゜+.(・∀・).+゜ 「(救世主)私のツアーのバスにはまだ席が空いてるから、エルサレムまで乗っていきなさい」

と言ってくれたではないかヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャッ

どうやらこの方、この日はちょうど、アメリカ人観光客10名程度を連れて、ここマサダ要塞に来ていたらしく、これから皆でエルサレムに帰るのだそうな。

ほんと、マサダ要塞で救われたよ・・・(;¬∀¬)ハハハ…

というわけで、エルサレムのガイドさんといえば、こちらのARIE ELIYAHUさんで決まりっ!!!

にしても、時刻表通りのバスが無かったのは災難とは言え、結局は、片道交通費が浮いたわけなんで、これって、もしかして激しくついてたんじゃなかろうか(旅行記のネタ的にも)・・・(苦笑)

●12/30(火)にかかった費用(1USドル=95円、1JD=136円、1NIS=29円)
・昼食(パン、10NIS) 290円
・城壁ウォークツアー(16NIS×2名) 928円
・タクシー(オリーブの丘麓→セントラル・バスステーション、50NIS) 1,450円
・長距離バス(エルサレム→マサダ要塞、69.7NIS×2名) 4,043円
・夕食(ケバブ、100NIS) 2,900円
・インターネット代(2日間分、30NIS) 870円
・宿泊費(HOSHIMI Hotel、85ドル) 8,075円

小計            18,556円 (  9,278円/人)
合計           444,215円 (222,108円/人)

 

つづく