2001年12月6日
いよいよ今日が、ヨーロッパ観光最後の日。中央駅付近のおっきな道路だってのに信号すらなく、そしてそれについて何の疑問ももたずに道路を横断しようとするイタリア人たち(写真上)とももうじきお別れだ。・゚・(*ノД`*)・゚・。 シクシク
まったく、イタリア人ときたら、良くも悪くも思い出深い人たちですよ。ここまで厄介だと感じたのは、その後の人生でもエジプト人くらいじゃなかろうかって感じ('▽'*) ・・・ァハハ
で、
今日は何しようかなぁって考えてみても、実は、
なんも予定無し(o;ω;o)ウゥ・・・
そう、今日は、万が一スケジュールが後手後手に進んだときのための予備日だったのだ。というわけで、とりあえず共和国広場にある三越イタリアでも冷やかしに行くこうっと☆⌒Y⌒Y⌒ヽ(o`・ω・)ノィッテキマース
すると、
゜+.(・∀・).+゜ 「(店員)いらっしゃいませ!(←日本語)」
Σ(゜Д゜lll)エッ!?
と、日本人店員はもちろんイタリア人店員まで口をそろえて日本語でお出迎え。しかも、入口付近には、「皇太子殿下にお子様が生まれました、おめでとうございます」って感じのちっちゃい日本語垂れ幕まであったくらいにして、超びびったし(☄ฺ♛ฺд♛ฺ)ェッ!?そんな…
で、その共和国広場から100%回避不可なくらいハトの糞で埋め尽くされたヴィッラ・ペレッティ広場を通って(歩く度に、ぷちっぷちっと、乾燥した糞を踏み潰す音が響き渡る・・・)、
ローマ・テルミニ駅に向かい、今日の観光先でも決めようかと、駅構内のキオスクで地元ガイドブックを立ち読みすることにした(写真左)
もちろん、ガイドブックは英語 or イタリア語オンリーなので、正直、事細かに読み込む気力なんかない(しかも、外国のガイドブックって写真よりも文字ばっかなのが多いし・・・)
それでも、ぱらぱらとめくったときにたまたま綺麗な写真が載ってた「Basilica di ~」とかいう建物が目にとまる( ゚д゚)ハッ!
Basilicaってバジリカ様式の教会かっ!゚+.(◕ฺ∀◕ฺ)゚+. わぁ♪
しかも、テルミニ駅から地下鉄でたった6駅だしっ!行くっきゃない(人´∀`).☆.。.:*・
そんなこんなで、名前すらまとめに読めなかったけども、とりあえず、朝昼兼でいつものオステリア・ルチアーノで飯を喰らった後(まさかの4日連続・・・)(写真右)、そのバジリカなんちゃらに行ってみることにした。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
(写真上) さすがに4日も連続で通ったんで、お気に入りのマルコさん(左)に写真を撮らせてもらった(注、僕は男好きなわけではありません(;¬∀¬)ハハハ… )。そして、何故か一緒に写真に写ってポーズを決めている見ず知らずのおばあちゃん(右)(´,_ゝ`)プッ
で、テルミニ駅から地下鉄B線に乗り、サン・パオロ駅で降りること数分で、超あっさりと、
そのバジリカなんちゃらに到着ヽ(゚∀゚ )ノ
(・0・。) ホホ-ッ
列柱の奥には、今朝ガイドブックで見た美しい金のモザイクが゚+.(◕ฺ∀◕ฺ)゚+. わぁ♪
随分と新しい感じだけども、なかなか良い感じじゃんか。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
けど、地球の歩き方にも載ってないだけに、建物名は謎・・・( ̄へ ̄|||) ウーム
と、
その当時は思ってたわけなんですけども、この旅行記を書く過程で、ついに、こやつの正体が発覚しやしたよ、兄貴っ!(_≧Д≦)ノ彡☆♪
その間、実に、6年経過っ!w( ̄△ ̄;)wおおっ!
で、なんと、こやつ、地味に、
世界遺産Σ(゜Д゜lll)エッ!?
だったりしやがったのだ(☄ฺ♛ฺд♛ฺ)ェッ!?そんな…
その名も、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂と言って、ローマ四大バジリカとかいうやつの一つに数えられてる上に、ローマやバチカン市国と共に、
「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂」
って名前で世界文化遺産に登録されていやがったぜ・・・
世界遺産の登録名称で「ローマ歴史地区」ってのは、いろんなところで目にしてた気がするけども、まさか、その後ろがこんなに長い名前だったなんて・・・∑(゜д゜υ)
で、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂から戻った頃には、結構それらしい時間になっていたので、ヨーロッパでの最後の晩餐に繰り出すことにした( ̄¬ ̄*)じゅるぅううう
最後の晩餐でミスりたくないだけに、どこに行こうかと非常に悩むも、さすがに安牌オステリア・ルチアーノは4日連続済みな上に昼時にお別れまで言ってきたんで、絶対回避しなければならない・・・
ゥ─σ(・´ω・`*)─ン…
非常に悩むも、結局はなんの判断材料もないんで、結局、その辺のルチアーノよりちょっぴり高級そうなレストランに入ることにした・・・
これまでは(特に物価の高い北イタリアでは)、マックばっかり食べて食費を削っていたものの、さすがに最後の晩餐ってことで、結構奮発してみた(写真上)
しかし、案の定、普通においしいとは言え、大絶賛とは程遠く、やっぱ恥を忍んでルチアーノで食べればよかった・・・、なんて後悔の念が脳裏をよぎる・・・(ノд`@)アイター
が、
話しかけてくれた店のおじちゃんのおかげでそんな気持ちもふっとんだヽ(゚∀゚ )ノ
なんと、このおっちゃん、スキーが大好きらしくって、結構頻繁に我が故郷、北海道は札幌に指導に行くそうなw( ̄△ ̄;)wおおっ!
まぁ、イタリア人だけに100%信じていいものかというところではあるけども、激しく偏狭な地元愛を持つ北海道人のココロをくすぐってくれたことは間違いない(・∀・)♬♬
なんか、結構良い夜だったんじゃないの!?(_≧Д≦)ノ彡☆♪ (←アホ)
翌、
2001年12月7日
5日前の早朝、ローマに到着してからお世話になった、このホテル「FIORINI」をチェックアウトすれば、あとは空港に行って飛行機に運んでもらうだけで旅が終わる。
終わってみれば良い思い出ばかりだった「ヨーロッパ初一人旅」(◕ฺ‿ฺ◕ฺ✿ฺ)(u‿ฺu✿ฺ)ウンウン
ニセ警官にやられそうになったり、ホテルが見つからなかったり、夜行列車がなくなったり・・・
そして、そんな、些細とはいえ厄介な出来事があったと思えば、誰かに助けられて喜んだり、荘厳な建築 群や芸術に圧倒されたりと、喜怒哀楽、ものすごく浮き沈みのある毎日だった゜+.(・∀・).+゜
まぁ、最後の最後まで、ローマ→成田行きの直行便がキャンセルになって、ミラノ経由になったり、あまりに悲惨なので詳細は割愛するが、この後、札幌の我が家で床に就くまでに、当時遠距離中だった彼女と別れるわ(涙)、札幌の我が家は水道管破裂で座布団が浮いちゃうほど水浸しになるわで、
なかなかしんどい締めくくりにはなったけども、でもまぁ、それを含めてもとーっても良い経験となった゜+.(・∀・).+゜
わざわざ3週間も授業を休んだ甲斐もあるってもんだ、うんうん。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。
※写真上の白とピンクの大地は、おそらくシベリアのどこかと思われ・・・(機内より撮影)
んで、一人寂しい旅を強力にサポートしてくれた、
「地球の歩き方ヨーロッパ」に「トーマスック時刻表」、そして鉄道乗り放題券「ユーレイルパス」に超感謝!(写真上)
というわけで、最後に、帰国直前に自分宛に投函した手紙、つまりはこの旅の生感想文を赤裸々にご紹介して、この「ヨーロッパ!初!一人旅!」を終えたいと思いまーすゞ(*ゝω・)ノ
「ご苦労様でした。
思ったよりも長かった3週間の一人旅。思ってたよりも苦労は少なかったけど良い経験にはなったね。フランスの最初の夜はびびりましたね。正直。まじ迷ったし、アトラスホテルはまじ汚いし。
あとはドイツだね。雪も積もってどんよりしてたせいかホームシックじゃないけど帰りたくなったね。
スペインは良かった。全然治安悪そうじゃなかったし。ただ帰りの夜行は最悪だったね。朝はニセ警官にパスポート奪われそうになるし。でもこのおかげでカラカラ浴場での対ニセ警官との対決では冷静でいれたよね。
で、最後はなんといってもローマで食べまくったルチアーノ(マルコさん!)バンザイって感じ。最後のレストランもよかったし。
とにかくお疲れー!!就職するぞー。
自分より。」
おしまい゜+.(・∀・).+゜