サーメル探し、でもすぐに諦め、花の無いお正月

2021-07-07

エルサレム

2009年1月1日深夜0時0分

 

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アタフタ(゜д゜;)二(。д。;)アタフタ ナンダ!?ナンダ!?

突然、地響きと共にものすごい重低音が、たく&ぶーに襲い掛かったエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

な、なんだ!?と思い、慌てて部屋から窓の外を見上げてみると、真っ暗な夜空に一筋の火の玉がΣ(゚ロ゚屮)屮ぉお!!(冒頭写真)

ヾ(゚ロ゚*)ツ「(たく)ぶー、ニューイヤー花火っぽいの上がってるっぽいよ!!!」

と、こんなものすごい爆音が鳴り響いているのに、寝ていられる恐ろしい根性のぶーをたたきお越し(起きなかったけど・・・)、屋上に向かうΣ≡≡≡((っ`・Å・)っ ドピューン

が、

この爆音のみ鳴り響く花の無い花火は(爆)、エルサレム全体で打ち上げられていたわけではなく、ホテルがあるこのキリスト教徒居住区のみで、申し訳程度に行われていた寂しい催しだったり('▽'*) ・・・ァハハ

エルサレム

なので、そもそも1月1日なんて特段祝日でもない、イスラム教徒居住区なんかは、何も無かったかのように、あいかわらずの静けさを保っているわけで・・・(写真上)

というわけで、再び、来年の年末年始は絶対キリスト教国で迎えてやる、と心に誓うたく&ぶーだったのだった・・・(o;ω;o)ウゥ・・・



早朝、

エルサレム

お節料理やおもちどころか、3日前の朝から連日なんら変わらないサンドイッチを今朝も腹に流し込み(涙)、いよいよ、これからエルサレムを旅立って、アンマンに帰る。毎日朝ごはんを食べながら眺めたこの岩のドームともお別れ。・゚・(*ノД`*)・゚・。 シクシク

エルサレム

宗教にあふれる街エルサレム

各々の宗教がそのまま異なる生活習慣を形作る街、エルサレム

たく&ぶーがここ数日間の間、毎日変わらず、そして朝から晩まで目にしてきた、各々の信仰の対象に捧げられる祈りや賛美歌、などなど。

エルサレム

今こうして旅行記を書いてる合間にも、途絶えることなくそれらが捧げられていて、そしてそれがこれからも変わらず捧げられ、親から子へ、子から孫へと教えられ、信じ続けられていく・・・

そんな人々の生活に深く根付いた宗教を目の当たりにして初めて、何千年、何百年前に誕生した預言者たちがどれだけ大きな影響力を人類に与えたのか、その一端を垣間見ることが出来た気がする。

エルサレムを訪れて、本当に良かった(◕‿◕✿)(u‿u✿)ウンウン

エルサレム

(写真上) ヨルダンとの国境、アレンビー橋(イスラエル側の国境。ヨルダン側の国境はキング・フセイン橋)行きのシャトルバス(ダマスカス門を出て右に道なりに200m程度歩いた、向かって左手の建物の中庭内にあり、朝7時から正午まで30分間隔で運行)

エルサレム

エルサレム

(写真左) いよいよイスラエル出国

というわけで、入国時と同様、「ノースタンプ、プリーズ」の連呼で乗り切らねば(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

なんて、力んでいたものの、あっさり、入出国スタンプを押されることも無くイスラエル出国、ヨルダン再入国に成功♪(ただ、ガザ地区への空爆の関係なのか、国連関係者の出国がやたらと目立ち(パスポートの色が違う)、彼ら彼女らの手続きばかりが優先され、我ら貧乏旅行者の出国手続きは激しく後回しに・・・(≧ヘ≦ )プイッ!! )

そうそう、それと、ダマスカス門からのシャトルバスやら出国税に、キング・フセイン橋からアンマン市街へのタクシーなんかを全部支払うと、二人で1万5千円くらいになったんだけど、単に国境渡っただけでこの金額って、普通にありえんだろ、まったく・・・(╬◣д◢)ァァン?
(まぁ、貧乏人は入ってくんな、ってことなのかもしれんけど(;¬∀¬)ハハハ… )



で、

アンマン

4日ぶりのアンマン。゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚

が、正月だってのに、あいもからわず花が無い('▽'*) ・・・ァハハ

でもまぁ、とりあえず、今日は移動日でやることもないので、中東一親切で日本人バックパッカーに愛されているホテル従業員アンマン名物(?)サーメルに会おうと、そのサーメルが働くという「コーダホテル」に向かってみた≡≡≡ヘ(o゚Д゚o)ノイッテキマァァーーーース!!!!

が、さすがに愛され従業員だけあってか、コーダホテルは満室で、加えて、あまりに日本人バックパッカーがうじゃうじゃいすぎたのもちょっぴりばつが悪かったので、

アンマン

アンマン

しぶしぶ、前回同様、この真冬にはあまりにも貧弱すぎる暖房設備に、扉の閉まらない共同シャワー完備の「パレスホテル」にチェックイン(o;ω;o)ウゥ・・・(写真右)

ちなみに、この「サーメル」と「コーダホテル」

とくに、「コーダ」と中東のアンマンにピンと来た方もいるかもしれない。

ニュースで見聞きする、自分にはまったく関係ない(と思っている)世界

頭ではわかっていそうで、でも肌ではリアルに感じることができない世界

そんな世界と自分との接点ができてはじめて、それが現実の、リアルな世界だったんだと気付く。

つまりは、その接点がなければ、それがリアルなことだと真に認識できないんだから、人間なんてしょぼいもので、だからこそ、人はネットが発達しようが何しようが、ちゃんと、いろんな世界との物理的な距離を縮めながら、多様な世界を自分の目で見なきゃいけないってことを理解したりする。自分にとって、これが実に良い例だった。

この町は、イラク戦争下であっても、イラクに入国できた数少ない町であったこと。

一人の日本人青年が強い意志を持って、この町からイラクに向けて旅立ったこと。

そして、結果的に最悪の結末を迎えることになるその青年の出発を、止める事が出来なかったと今でも悔やみ続けている人が、この町に、それも、さっき足を踏み入れたホテルの中にいるということ。

さらに、その彼は、その青年を忘れないようにと、ホテルに青年の名を名付けたこと。

青年の祖国である極東の島国では、ニュースが流れた時にだけ、皆が一喜一憂し、同情どころか種々の非難が加えられ、にもかかわらず、話題のピークの終焉とともに、無責任にも、皆の記憶から、いや歴史から消去されてしまったかのような現実の出来事が、ここでは今でもリアルな現実として肌で感じることができる・・・

 

んで、サーメルに会えなかったのはちょっぴり残念ではあったものの、

アンマン

小腹が減ってきたんで、キング・ファイサル通りからちょっぴり路地裏に入ったところにあるスープ屋「マタアム・エクスプレス」でお昼ご飯( ̄¬ ̄*)じゅるぅうううう(写真上)

アンマン

地球の歩き方に載ってるお店にも関わらず(笑)、これだけのボリュームで400円ちょっとと激安な上に、お味も相当な美味ときたもんだから言うことなしヾ(*´∀`*)ノ゛キャッキャッ

ちなみに、うちらが昼飯を食べている間に、日本人女子のバックパッカー二人組みが、サーメルのためにスープをテイクアウトしに来てた。単なるお使いなのか、お世話になった御礼にご馳走するつもりなのかはわからんけども、本当に愛されキャラなのね、サーメルさんったら(。→ˇܫˇ←。)ププッ



んで、その後はというと、ぶーにしてはめずらしく主体的に、激しく行きたい行きたいと騒いでたワヒダット・キャンプとやらにタクシーで向かうも、

アンマン

ぶーの想像(エジプトのスークっぽい市場)とは大きく乖離した、単なる普通の生活雑貨市場であり空振りヽ(・、 .)コケッ

で、そこから、地図を頼りにてくてくと、

アンマン

白と黒のコントラストがなんともキュートで、とてもじゃないけどイスラム教のモスクとは信じ難い、アブー・ダルウィッシュ・モスクまで歩くも、どうやら改装工事中で中に入ることができず、二度目の空振りヽ(・、 .)コケッ

仕切りなおして、そこからタクシーに乗り込み、入場時間終了間近の午後13時55分に、

アンマン

ヨルダン最大のキング・アブドゥッラー・モスクに滑り込む ミ(ノ;_ _)ノ =3

まぁ、未だかつてイスラム教のモスクを見たことが無いなんて場合だったり、せっかくアンマンにいるにも関わらず暇してる、っていうんだったら別だけど、そうでなかったら、

アンマン

アンマン

わざわざこのために来る必要もないようなレベルだな、すまんけど(;¬∀¬)ハハハ…

その他、ダウンタウンを見下ろすジャバル・アル・カラアの丘に立つ、

アンマン

アンマン城(跡?)なんかも(写真上)、小遣い稼ぎが目的の10才くらいのかわい子ちゃんに連れられつつ(笑)、裏口入城してみたが、

アンマン

アンマン

さすがにこの手の遺跡は見飽きてるわけで・・・

(写真右) ヨルダン最大規模らしい、ローマ劇場・・・

と、

久しぶりに帰ってきても、アンマン観光は激しくつまらない(爆)

バックパッカーの輩達が、コーダホテル(以前だとクリフホテル)でサーメルと楽しく会話することにアンマン滞在の多くを費やすことに激しく納得しちゃったり('▽'*) ・・・ァハハ

それでも、横60m×縦30mもあるという巨大な旗が、高さ126.8mもの旗竿にかけられたなびいているという「ヨルダン国旗」には地味に期待していたので、アンマン城からその方角を眺めてみたところ、

アンマン

ガクッ!!_| ̄|○

旗竿だけやん。・゚・(*ノД`*)・゚・。 シクシク(写真上)

って、どうやらイスラム暦の週末にあたる金曜日、土曜日に加え、元旦のような祝日には国旗が掲揚されないらしい・・・ρ(-ε-。)イイモンイイモン

そんなこんなで、

アンマン

空振りだらけのこの日のアンマン観光ではあったけど、とにもかくにも、ガザ空爆が続く中、エルサレム旧市街に死海リゾートにとたっぷり満喫&

アンマン

無事にアンマンに戻ってくることが出来たんだから文句言ったらバチがあたるわけで(◕‿◕✿)(u‿u✿)ウンウン

でも、やっぱり、

サーメルとの思い出もちょっぴり作りたかったなぁ・・・、せっかくアンマンに来たんだし・・・

●1/1(木)にかかった費用(1USドル=95円、1JD=136円、1NIS=29円)
・シャトルバス(ダマスカス門→アレンビィ橋、33NIS×2名) 1,914円
・出国税(161.5NIS×2名) 9,367円
・国境バス(8JD) 1,088円
・タクシー代(キング・フセイン橋→キング・ファイサル通り、14JD) 1,904円
・昼食(3.25JD) 442円
・タクシー代(ホテル→Wahadat Camp、1.65JD) 224円
・タクシー代(アブーダルウィッシュ・モスク→キングアブドゥラ・モスク、1.75JD) 238円
・タクシー代(キング・アブドゥラ・モスク→キング・ファイサル通り、1JD) 136円
・アンマン城入場料(0.5JD) 68円
・夕食(キョフテ、4JD) 544円
・宿泊費(Palace Hotel、15JD) 2,040円

小計            17,965円 (  8,983円/人)
合計           482,174円 (241,087円/人)

 

つづく