まだ歴史じゃない・・・

2022-05-12

広島

2002年8月28日

 

4夜もお世話になった岡山駅に別れを告げ(苦笑)、今日から広島

広島周辺というと、広島はもちろんのこと、日本三景「安芸の宮島」に、大峡谷「三段峡」、さらには岩国(山口県)の「錦帯橋」にと結構見所が多い(◕ฺ‿ฺ◕✿)(u‿ฺu✿ฺ)ウンウン

楽しみ過ぎっ(。→ˇܫˇ←。)ププッ

そんなわけで、JR山陽本線をガタンゴトンと3時間程走り、

広島

平和祈念都市・広島に到着。

人類初の核による被害を受けた街。

原爆の町ヒロシマ

平和祈念都市。

いずれも自分の中では歴史の教科書での話だった、と思う。

日本の中でも、特に歴史が浅い北海道、札幌で生まれ育ったせいか、社会の教科書に出てくるような出来事は、とても昔の、そしてもう完全に終わった出来事だととらえていたんだと思う。

特に、近代日本の歴史において、(社会の教科書の範囲では)北海道の関わりがとても希薄に描かれているせいか、戦争(の爪痕)を身近に感じることはほとんどなかった。

だからとても不思議な感覚だった。

原爆ドーム

原爆ドーム

戦争の、原爆の象徴である「原爆ドーム」が目の前にあって(写真左)、その脇には、今なお千羽鶴が捧げられている・・・(写真右)

まだ、続いているんだ、

まだ終わって無いんだ・・・

そういうことをはじめて実感した日になった。

そして、晴天の下、とても暑い一日だった。

原爆ドーム

澄んだ騒がしさの中に、蝉の声が鳴り響く、暑い暑い夏の日・・・

47年前のその日もこんな感じの一日だったのかもしれない、

そう思うとなんだか居たたまれない気持ちになった・・・。

 

原爆ドーム平和祈念資料館を訪れた後は、原爆で破壊され、戦後再建された、

広島

”鯉城”「広島城」へ。

再建されて何十年も経過しているためか、これまで見てきた大阪城や岡山城とは違い、おそらく戦前の風格そのままの、趣があり、荘厳かつ立派な天守閣の姿を今に伝えている。

でも、広島城の敷地を散策していると、やはりここにも戦争の傷跡が残っていた。

広島

というよりも、その傷跡が生きていた、という感じ。

原爆の爆風を受けた側だけが葉を失い、それから約50年も経っているのに再生していない木があったのだ・・・(写真上)

広島

その木は間違いなく今も生きているのに、”その時の今”もそのまま生きている・・・

まだ歴史じゃない・・・

日本という小さな国の、飛行機だったら2時間程度の距離しかない、広島と札幌。そんな物理的な距離感でも、大きな大きな精神的な距離感があるように感じた。

やっぱり、自分の目で見て感じないとその精神的な距離感を克服できない、共感できないということを改めて感じた。

今はインターネットがあって、なんでもすぐに画面上で見聞きできる(と思ってしまう)から余計に勘違いしちゃうよね…、簡単に頭でわかったつもりになってしまうから。

そして、いろんな出来事が「記事」になった時点で、「昨日あったこと」、「さっき起きた出来事」、みたいに過去の出来事のような印象を受けてしまうから、今、現在進行形で生きていることをネットで正確に感じるのは、(少なくとも昭和生まれの自分には)とても難しいことだと思った。



でもって、午後は、

広島

焼きそばの上にお好み焼きがのった「広島風お好み焼き(写真上)」に舌鼓した後、日本橋(東京)、眼鏡橋(長崎)と並んで日本三名橋の一つに数えられる、山口県は岩国の名橋、

錦帯橋(きんたいきょう)を目指す。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。  

さっき気づいたけど、その日本三名橋とやらの一つ「日本橋」を、(この当時)実は見たことが無かったりする・・・、社会人2年目まで毎日日本橋乗換えで通勤してたと言うのに・・・(苦笑)

というわけで、

錦帯橋

錦川に架かるこの錦帯橋は(写真上はJR岩国駅にあった錦帯橋の模型)、

錦帯橋

錦帯橋

木造5連アーチの美しい橋として有名で、おそらく日本で一番美しい橋なんじゃないかと思う(そんなに橋をまじまじと見たことないけど、笑)(◕ฺ‿ฺ◕✿)(u‿ฺu✿ฺ)ウンウン

だって、

錦帯橋

江戸時代とかにタイムスリップしたみたいなんだもん♪

一休さんの新右衛門さんとか歩いてきそうでしょ???

「この橋渡るべからず」とも書いてそうだし(って一休さんも新右衛門さんも室町時代の人だけど)

ちなみに、

錦帯橋

錦帯橋

見た目どおり、かなりのアップダウンがあるんで、1連目から2連目、3連目以降のアーチにいる人は見えなかったり(写真右)

錦帯橋

(写真上)裏側から見た橋桁。この頃からちょうど橋の架け替え工事が行われていて、この時点で5連アーチのうち一つが新しくなってた。

にしても、なんか激しく複雑な組木みたいだけど、昔の人ってこういう組み方したらどれくらいの荷重まで耐えれるとかって、経験と勘だけで本当にわかったんのかなぁ???

ほんとだったら、まじで超人過ぎるんだけど・・・(汗)

ちなみに、この錦帯橋が架かる錦川は、

錦帯橋

錦川の鵜飼(うかい)」

として有名なスポットだったりするΣ(゜Д゜|||)エッ!?

鵜飼っていうのは、鵜を使ってアユを採る伝統漁法のことで、ここでは、錦帯橋を横目に見ながら、観覧船に乗ってその鵜飼の様子を間近で見れるらしい。



というわけで、

錦帯橋

錦帯橋

早速、鵜飼観覧へ出発。+.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.+。

この日の鵜飼観覧者は10名弱で、屋形船1艘で十分いける感じだったんだけども、自分の帰りの電車の時間の都合的に、鵜飼をフルで堪能してる時間が無い旨を船頭さんたちに相談すると、なんと、屋形船をもう1艘出してくれて、自分だけ早めに切り上げてもらえることになった゚+.(◕ฺ∀◕)゚+. わぁ♪

我ながらなんてわがままな客なんだべ・・・('▽'*) ・・・ァハハ

おじいちゃん、ごめんなさい。o.゚。(・ェ・。`人)。o.゚。ホントゴメンナサイ

んで、屋形船の提灯に灯りが灯されて、雰囲気バッチリだし(写真右)、

錦帯橋

船上ではビールやら、ここで採れたアユ焼きやらを楽しめちゃう♪(写真上)

等と、まったりしてると、いよいよ夏の風物詩「鵜飼」が始まった!!!

錦帯橋

篝火(かがりび)が焚かれ、幻想的な雰囲気を醸し出す錦川w( ̄△ ̄;)wおおっ!

錦帯橋

鵜匠の手縄によって見事に操られ、アユを飲み込む鵜たち(写真上)

ちなみに、鵜の首には紐が巻いてあって、ちっちゃいアユはそのまま胃袋まで落ちていってアユたちのご飯になるけども、ある程度おっきいアユは、その紐のせいで胃袋まで落ちず、後で鵜匠によって吐き出させられるらしいΣ(゜Д゜|||)エッ!?

それを聞くと鵜にとってはちょっと酷な気がするね…。

でもまぁ、鵜飼用の鵜として大事に育てられるせいで、普通の鵜よりも寿命が長いっていうから、OKなはず。

そんなわけで、一時間ほど鵜飼を堪能し、一足先に陸に戻ってきて、

錦帯橋

船頭のおじちゃんたちと記念撮影゜+.(・∀・).+゜ パチリ

右のおじちゃん(写真上)が、僕の屋形船を漕いでくれた方なんだけど、鵜飼観覧の間、東京に行って活躍されてる息子さんの話をしてくれた。

本心じゃないんだろうけど、

「息子を東京の大学になんかに行かせなければ良かった」

って言ってたな。

子供が頑張っているのはうれしいものの、やっぱり、いくつになっても自分の子供は自分の子供に変わりなく、ずっと近くにいて欲しいって思う、ってことだろう。

複雑ですな、親心ってやつは(◕ฺ‿ฺ◕✿)(u‿ฺu✿ฺ)ウンウン

 

つづく

●10日目終了時点宿泊先別宿泊数
屋外泊: 1泊
駅構内泊: 7泊
スーパー銭湯泊: 1泊
車内泊: 1泊
ホテル泊: 0泊